3冠のうち【UN選手権】

3本のベルトが、1本に統一され新調される事となった三冠選手権ですが、
元々は、インターナショナル、UN、PWF という3つのタイトルでした。
その内、UN選手権のベルトについて、ちょっと知っている事を書きますね。




ユナイテッド ナショナル チャンピオン というタイトルは、
昔々、アントニオ猪木選手がアメリカで獲得し、日本に持ち帰って定着したタイトルと
言われていますが、事実その通りなのでしょうけど、裏では、
アントニオ猪木の為に お蔵入りしていたタイトルを復活させて、挑戦させた」とか、
NET(現テレビ朝日)が中継放送をするにあたり、目玉商品として
タイトル(UN)とスター選手(猪木)が必要だった とか、
いろいろな うわさ も ささやかれていたようで、これらの事って、
ただの少年プロレスファンだった僕が知っている位ですから、
当時から、雑誌や新聞などで、相当書かれていたのでしょうね。

アントニオ猪木選手は、1971年に、アメリカのロサンゼルスで、
ジョン・トロス選手を破って、タイトルを獲得しています。
当初は、日本・アメリカ・メキシコの3ケ国で認定されている とかいう説明で、
メキシコの鉄人レイ・メンドーサ選手が初代王者 という話もあったかと思いましたが、
その後の調査では、
デール・ルイスという人が初代王者ということになっているようです。

歴代王者が、あのUNベルトを巻いた写真は、レイ・メンドーサジョン・トロス
写真は見たことがありますが、
そのベルト(の形)が、毎回微妙に違っているのです。
具体的には、
ベルト部分が幅広で、なだらかなカーブを描いて端の金具へとつながっているかどうか?
センター・クラウンの周りの赤い部分(縁取り)の幅が、広いか狭いか?
NATIONAL と CHAMPIONの文字の下に☆印があるかどうか?
と いったところが、注目点です。
さらに、このUNベルトには、もう1本の「そっくりベルト」の存在まで言われている位、
エピソードが豊富なのであります。

初代デール・ルイス → 2パンテラ・ネグラ → 3レイ・メンドーサ
→ 4ジョン・トロス → 5アントニオ猪木 と王座が移り、
UNタイトルは、日本にやってきました。
王者アントニオ猪木選手は、当時、「日本プロレス」に所属していて、
4チャンネルの日本テレビが放送するプロレスでは、
インターナショナルチャンピオンのジャイアント馬場選手が主役で放送されていた為、
10チャンネルのNET(日本教育テレビ ⇒ 現テレビ朝日)の放送では
アントニオ猪木選手のUNタイトルが目玉商品となるはずだったようです。
しかし、アントニオ猪木選手は、「会社(日本プロレス)乗っ取りを画策した」という罪で
日本プロレスから除名処分を受けてしまい、UN王座も、NWA本部に返上されて
しまったのだそうです。

その後は、いつのまにかタイトルを復活させて王座についていた キング・クロー選手を
日本プロレス次期エースの「荒鷲坂口征二選手が、破り、再び、王座を日本に
持って帰ってきました。
日本プロレスを除名処分となったアントニオ猪木選手は、
自分の新団体「新日本プロレス」を旗揚げしていましたが、
坂口征二選手がタイトルを獲得した直後に、大エースのジャイアント馬場選手が
日本プロレスから独立し、自分の新団体「全日本プロレス」を旗揚げしてしまいました。
残った坂口征二選手は、事実上、日本プロレスのエースとして、防衛戦を続けました。
キング・クロー → 7坂口征二 → 8ザ・シーク → 9坂口征二 と
王座が移っていったのですが、ジョニー・バレンタイン選手に破れ、
タイトルを奪われた後、坂口征二選手も日本プロレスを離脱し、
新日本プロレスに移籍してしまいました。
猪木・馬場・坂口の去った日本プロレスでは、残った戦力の中から
高千穂明久選手が抜擢され、ジョニー・バレンタイン選手を破って、
王座を奪回しましたが、たった一度 防衛戦をやっただけで、
残念ながら、日本プロレスが崩壊してしまい、
王座は、またもやNWA本部に返上されてしまったという事です。
坂口征二 → 10ジョニー・バレンタイン → 11高千穂明久

日本プロレスから独立したジャイアント馬場選手は、自分の新団体
全日本プロレス」を立ち上げ、師匠「力道山」の百田家の協力も得て、
すばらしい興行を行っていました。
そこに、NWA本部からのUN王座復活の話と、着々と実力をつけてきた
「若大将」ジャンボ鶴田の成長とが、ドンぴしゃりのタイミングで合致し、
復活UN王座決定戦が行われる事になったのですが、
なんと、ジャンボ鶴田選手が、大物【元世界王者】のジャック・ブリスコ選手を下し、
新チャンピオンになっちゃったのです。
この「ジャック・ブリスコを破った新チャンピオン」は、国内外から
高く評価され、たくさんの挑戦者がやってきました。
12ジャンボ鶴田 → 13ビル・ロビンソン → 14ジャンボ鶴田
→ 15ディック・マードック → 16ジャンボ鶴田 → 17アブドーラ・ザ・ブッチャー
→ 18ジャンボ鶴田 → 19ハーリー・レイス → 20ジャンボ鶴田 と
タイトルは移動しましたが、
6年位の長期間、ジャンボ鶴田選手が頑張り続け、日本に定着するタイトルと
なりました。
ジャンボ鶴田選手は、「インターナショナル選手権」に挑戦するため、
自ら王座を返上し、
21テッド・デビアス → 22マイケル・ヘイズ → 23デビッド・フォン・エリック
と王座は移動していましたが、
防衛戦の為来日していた 王者デビッド・フォン・エリック選手が
ホテルで急逝してしまい、
空位となったUN王座は、リッキー・スティムボード選手を下した
天龍源一郎選手のものとなりました。
その後、一時期、タイトルを返上していましたが、再び王座につき、
スタン・ハンセン選手に敗れるまで、通算4年以上も、王座を死守していました。

UN最後の王者は、スタン・ハンセン選手なのですが、
PWF王者としてUN王者の天龍源一郎選手と戦い、敗れてしまい、
天龍選手が、UNとPWFの2冠王になったのですが、
リターン・マッチで、今度は、スタン・ハンセン選手が天龍源一郎選手を下し、
王者になったのだそうです。
23デビッド・フォン・エリック → 王者のまま急逝
24天龍源一郎 → タイトル返上
25天竜源一郎 → 26スタン・ハンセン

この後、インターナショナル王者のジャンボ鶴田選手が、
UN&PWF二冠王者のスタン・ハンセン選手を下し、3冠王者となり、
タイトルが統一されたのだそうです。


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